品質管理
品質管理部で副部長を務める小村牧子。新しいことを楽しむことで大きく広がった、彼女の世界とこれから思い描く未来をご紹介します。
自分らしくありたい。憧れの東京で歩み始めたキャリア
「縁結びのまち」と呼ばれる島根県出雲市で生まれ育った小村。自然に囲まれた長閑な土地で青春時代を過ごしましたが、小さな街ゆえに、全員が顔見知りで、どこの家の子が何をやっているのか、みんなが知っているような状況に窮屈さを感じていました。新しい世界を見ようとアルバイトもいろいろと経験しましたが、状況は変わらず。全然楽しいと思えない日々が続く中で、「このままここにいたらダメになる」と感じ、地元を離れて単身東京へ行くことを決意しました。
小村 「エレクトーンを長く続けていたので、『音楽の専門学校に行く』と家族を説得しました。 10歳のとき、家族旅行で見た新宿の街が強く印象に残っていて。幼心に『私は将来ここに住むんだ』って思ったんです。それを鮮明に覚えていたので、ここから抜け出すなら東京だと思い、迷いはありませんでした」
東京では音楽の専門学校に通いながら自活するためにアルバイトを始めました。東京に出て来てまず感じたことは、「地元とは違って、自分がどんな格好をしていようが、どんな経歴があろうが、誰も気にしていない!」ということでした。そんな環境に「なんて楽なんだ」と自由と居心地のよさを感じ、東京での長い生活が幕を開けたのでした。
当時はちょうど「iモード」が世に出て、モバイルサービスが広がっていた時代。小村自身が初めてITに関わったのもこのころでした。 初めはアルバイトとしてIT業界へ関わり始め、その後正社員として様々な経験をし、2008年に現在の仕事へと繋がる会社へ入社することになります。
小村 「モバイルサービスを運営する IT企業に入社し、女性向けヘルスケアの領域でサービスの運用と管理を担当することになりました。企画書の作成や広告の効果計測など、そのころはデスクワークが多かったのですが、初めて女性のヘルスケアという領域に関わり、女性特有の病気についても勉強する機会があり、とても有意義でした」
その後2年間サービスを担当しましたが、信頼していた当時の上司がサイバードで女性向けヘルスケアサービスをスマートフォンアプリで立ち上げると聞き、ふたつ返事でサイバードへの転職を決めました。
一つひとつの積み重ねが世界を広げていく
2010年、サイバードでゼロからサービスを立ち上げることになった小村。しかし、一緒に頑張ってきた上司の産休をきっかけに、プロジェクトオーナーとしてほぼひとりでやらなければいけない状況になりました。
小村 「企画書をつくるところからサービスのデバッグ、プラットフォームへの配信まで、すべてやりました。最初はプロジェクトオーナーの概念もわからなかったので、開発メンバーにも感覚的に物事を伝えてしまい、当時のエンジニアには『どういう立場で発言しているんだ』と叱られることもありました。そこでロジカルに話すことを身に着けたと思います」
また、ガラケーが主流の時代にスマートフォン向けアプリを開発するのは、社内でも事例が少なく、とても大変でした。何もノウハウが無い中、自分で調べたり、外部の人に聞いたり、セミナーに行ったりと、自ら能動的に学ぶことで、なんとかリリースまでこぎ着けたのでした。
小村 「外部の勉強会でドロイド君の Tシャツを着た男性エンジニアの中に、ひとり混じって勉強したのは、今となってはいい思い出です(笑)。おかげさまでリリース後は順調にダウンロード数が伸び、最終的には 100万ダウンロードを突破しました。女性向けヘルスケアサービスの需要があることを感じると共に、スマートフォンの波が確実に来ているんだなということを実感しました」
そういった中で「女性の一生を支えられるようなアプリにしたい」という想いも芽生え、女性のヘルスケアについてもっと深く学ぶようになりました。そして2012年7月には子宮頸がんの国際的な学会である「EUROGIN2012」に参加することになり、プラハに渡ったのです。
小村 「プラハへは啓発団体の方と一緒に行きました。私のほかは TV局の記者や団体を支援するアーティストの方が来ていて、少し浮いていたかもしれません(笑)。学会に参加した後、そのレポートをアプリの中で記事として配信したのですが、がん患者を支援する団体から取材依頼があって、寄稿したりもしました」
そのようにして、小村は一つひとつの積み重ねが世界を広げていくことを経験していきました。
新しいことができるって、わくわくする 。考え方次第で仕事は楽しくなる
サービスも軌道に乗り順風満帆なとき、小村に転機が訪れます。女性向け恋愛ゲーム事業部への異動の話があがったのです。
小村 「正直、最初は戸惑いが大きかったです。立ち上げた女性向けヘルスケアサービスへの思い入れも強かったですし、私自身がそういったゲームをまったくやらなかったので、そんな自分が役に立つのか疑問でした。
でも、新しいところで新しいことができるって思ったらわくわくしましたし、恋愛ゲーム自体の勢いもこれからというときだったので、すごくポジティブな気持ちで異動の日を迎えました」
異動後はプロモーションチームに配属され、アプリのリリースを円滑に進めていくことと並行し、リアルイベントの運営も担うことになりました。当時のサイバードはリアルイベントを行った実績もなく、ノウハウもありませんでした。ここで小村のプライベートでの経験が生きることになるのです。
小村 「趣味でコミケやコスプレイベントに行ったりしていたことが運営に生きました。だんだんとイベントの規模も大きくなっていきましたが、そこでも生かせたと思います。」
イベントスタッフの体制、会場のレイアウトなど、いろいろ想定した上で動くことができ、初めての100名規模のイベントをやりきりました。
小村 「リアルイベントは普段なかなかお会いできないお客さまが目の前にいて、反応を直接見られるので、運営側としても活力になっていました。これだけ楽しんで喜んでくださる人がいるのかと、会場裏で嬉し泣きしたこともありましたね」
その後10イベントほどを担当した後、小村はリアルイベントの担当から離れ、アプリのリリースを円滑に進めていくことを主に担うようになっていきます。
小村 「当時、アプリをリリースするにあたってのテストフローが十分ではなかったんです。お客さまによりよいサービスを届けるためには、今度はそこをやらなきゃと思って始めました。やらなきゃと思うことは直感が多いんです。そういうときは大体先にゴールは見えています。ただゴールまでの道をつくって進んで行くのは大変。でも新しい道をつくるのはとにかく楽しいです」
楽しいと思えるものの先に成功があると思うから楽しむことを追求し続けたい
小村は現在、2016年 に立ち上がった品質管理部で副部長を務め、テストスケジュールの管理やQAのマネジメント、そしてメンバーの育成を担っています。やることが変われど常に新しいことを楽しんできた、そんな小村の2019年最大の挑戦は、アメリカのカリフォルニア州で6月に開催されたApple社が主催する「WWDC 2019」にひとりで参加したことでした。
小村 「英語はできないし、エンジニアでもないのに大丈夫かな?と思いながらApple社の公募に応募したんです。そしたら見事に当たって(笑)。アメリカに 9日間もひとりで行くなんて正直現実味がありませんでした。でもエンジニアのリーダー陣が『現場の空気を味わうだけでいいから、楽しんで無事に帰ってきて』と背中を押してくれたので、最大限自分が楽しんでくればいいんだと気持ちを切り替えることができました」
不安を抱えつつも、行ってみれば現地では友達もでき、Apple社の人にも翻訳アプリを使いながら直接質問したり、自社のアプリへのコメントをもらうこともできたりするなど、非常に有意義な時間を過ごすことができました。
小村 「とにかく楽しくて、 2日目からもう帰りたくなかったですね(笑)。東京も自由だと思っていましたが、アメリカはもっと自由でした。英語ができないことがとにかく不安でしたが、世界各国から人が集まる場所では『伝わるか』ではなく『伝えたいか』が大事だとわかりました」
また、東京のオフィスの中にいるだけではわからなかったプラットフォーマーが描く10年後、20年後の未来が手にとるようにわかり、自身の仕事と関連づけて、さらに未来にわくわくすることができました。
小村 「いつもと違う環境で考えたり行動したりすると、思いも寄らないことを考えつくということを、今回強く感じました。日本人って頑張って苦しんだ先に成功があるって思いがちだけど、楽しくないと思うものってどこが間違っていて、楽しいと思う先にこそ成功があるんだと思います」
アメリカへの出張を通して、いつかはシリコンバレーで働いてみたいと新たな夢もできました。行動を起こし、一つひとつを楽しむことで、大きく広がった世界。今、自分自身の可能性も大きく広がっています。